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膨大な現場データが導く未来の医療

薬の最適な使い方とは何か?この疑問に対する答えのヒントが隠されているのが、投薬履歴や治療記録などの膨大なデータで構築された医療情報データベース(以下DB)です。実際に薬が使われている現場で得られる患者の症状、投薬履歴、予後経過などのデータからは、治験の段階では見えてこない、患者と薬のつきあい方が見えてきます。これらのデータを統合して傾向を分析し、活用することで、開発する段階だけではなく、実際に使われる現場からの両側面から薬を考える新しい医療の形を追求しています。

眠っていた医療現場のデータを有効活用する研究

医療の現場では、電子カルテ、診療報酬明細書(以下レセプト)、疾患登録(がん、肝炎等)、使用成績調査、その他検査結果など、患者や治療に関するデータが蓄積されています。膨大なデータが各医療機関や国の機関、保険会社、製薬会社などで保管されていますが、これまで我が国では研究へ利用される事はあまりありませんでした。しかし近年、これらの実診療下のデータを活用することにより、様々な年齢層や複数の疾患に罹患した患者に対する薬の影響や、診療科や医師の違いによる薬剤の処方の違いなど、医療現場で実際に薬がどう働くかについて、患者や投薬条件を限定した治験段階とは異なる新しい知見が得られることが期待されています。

欧米・アジア(台湾や韓国)では、既に上記の大規模な医療情報DBが医薬品の評価や安全性の監視、疫学研究に利用されていますが、我が国ではようやく構築が進み、利活用され始めました。今後は、これまで実施が困難だった全国レベルでの医療現場の実際の診療を加味した医薬品の評価や疫学研究等へ、これらのDBの利活用が促進されることが期待されています。

高齢化社会に合わせた薬剤処方を探る

私はこれまで複数の医療情報DBを用いて、医療現場の状況を加味した薬の処方状況や、薬剤治療に関連する問題点を明らかにする研究を行ってきました。現在は主に、日本が抱える大きな医療問題のうちの2つに注目しています。
その1つは高齢者の不適切処方の問題です。我が国では急速な高齢化に伴い医療費が増えており、高齢者の医療費の適正化は医療保険財政の安定化の観点からも重要な課題です。また、高齢者は若年者に比べ様々な疾病への罹患や有害事象を起こしやすく、複数の薬を飲んでいるケースも少なくありません。そのため、彼らの薬剤治療は特に注意を要します。海外では高齢者に対して慎重に投与すべき薬剤のリストが発表されており、その処方実態も調査されていますが、日本ではこれまで汎用性の高いリストは存在せず、その処方に関する検討が乏しい状況でした。そこで私は、既存の上記薬剤リストや、最近日本で発表された我が国の薬剤リストで検討しています。なお本研究は、日本のナショナルレセプトデータベース(NDB)を用いて実施するほか、台湾のNDBとの比較も試みます。この研究により高齢者の処方実態が解明されれば、薬剤処方の適正使用の促進や、増大する医療費の抑制に繋がる可能性があります。

乳がんと精神疾患の併発に有効な手立てを考える

2つ目の研究として、乳がん患者の精神疾患の問題にも取り組んでいます。乳がんは全女性の12人に1人が罹患する女性の全がんの中で最も多いがん種です。セクシャリティに関わることからも精神疾患への罹患は多く、罹患による生存率やQOLの低下、医療費の増加等の負の影響も大きいことが知られています。しかし、我が国の乳がん患者の精神疾患やその治療実態を大規模で検討した研究報告はありません。そこで、全国規模のレセプトDBを用いて、乳がん患者の精神疾患の罹患割合、及びその処方実態、罹患や処方に影響する因子の解明、再発に及ぼす影響や乳がん治療に対する経済的影響を検討しています。本研究の実態調査により、乳がん患者の精神疾患の罹患とその治療状況がわかれば、がん医療提供の格差の是正の促進や、乳がんの治療結果の向上による医療費の削減に繋がるのではないかと期待しています。

現場から集めてわかったことを現場に還元したい

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前述のように、我が国では使用可能な全国規模の医療情報DBやその利活用が乏しかったため、DBの利活用方法の提案や国際協力に基づく知見の蓄積、データを扱える人材の育成、研究結果の医療現場への還元などの課題もまだ模索段階です。

2009年の薬事法改正により、一部の医薬品は、薬剤師不在でも販売できるようになりました。ドラックストアなどで一般消費者がより手軽に購入できるようになった今だからこそ、様々なシチュエーションが想定される医療の現場の実際をしっかり受け止め、医学の知恵として還元する新しい仕組みが必要です。研究成果はこれからですが、近い将来、医療情報DBを活用した研究結果から得られた知見が実際の医療現場に還元されるのが当たり前になり、より多くの方の役に立てるよう研究を進めています。また、一般の人が医療現場や日常で困っていることや疑問に感じていることが医療情報DBの分析によってわかるかもしれません。その声を聞かせていただくことで、より現場に即した研究の実施と、その結果から得られた知見の還元ができると考えています。研究は、実施も還元も1人ではできませんので、医療情報DBにご興味のある方や医療関係者とぜひ連携し、より有意義な研究ができれば幸いです。

研究室HP

http://square.umin.ac.jp/kupe/

主要論文